勇哲.洋子のポートフォリオ パート3 から 2016.11. 人間欲に侵される私達が、生きる糧となるもの №6 musicフィーリング(ポール・モーリア) №05
2016.12.14.は父、松義の命日です。ささやかな法事を福岡県行橋市宮の杜、上瀧哲郎さん家で(℡・ 0930-24-1649)致しますので、自由に連絡なしで、勝手に遊びに来て下さい。洋子ちゃん手ずくりの、お食事会を、正山寺生土昌行ご院家様と、ご一緒に頂きます。また、洋子ちゃんと私が手ずくりしたオハギをオミヤゲにプレゼントします。
遠くから来て頂く方は、私に連絡下さい。お迎えと、私の家で、お泊りいただいて、北九州市、行橋など、ご案内いたします。
上瀧勇哲、〒824-0015 福岡県行橋市元永247-4 (℡・FAX 0930-24-0199)
幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは 人間欲に侵される私達が、生きる糧となるもの №6 大和三郎丸 (上瀧勇哲) |
幸福な家庭を築く信仰と、社会で活かされる宗教とは
人間欲に侵される私達が、生きる糧とするもの №6
大和三郎丸 (
人間社会に於いて自己の考えをアピールするコミュニケーションは、人と人の繋がり、絆社会には欠かせない言葉、文化です。
コミュニケーション力は、相応する考えの中で、自己の想いを伝えながら、心の平穏を楽しさとか優しさに変えながら、思いやりのハートとか感情を相応に共有し合い、平穏を求める言葉独特の文化でしょうか。そのコミュニケーションも、人と人の対話の話しで済めば、平和で穏やかで気分が爽快で晴ればれ、というのが最も理想的なのですが、人間社会には必ず上下関係がつきまといます。
親と子。上級生と下級生。先輩と後輩、年上、年下。社長と社員。他に学歴とか成績。スポーツでも、給与でも、何でもかんでも上下関係を付けたがり、オレが、私が、という立場からのコミュニケーションは、全くもって平等でなく、言葉の裏表をイメージさせながら、人間欲をどこまで追求できるか、自己満足するかで、相応の会話が平等でないことに、互いのハートがこじれたり、キズついたりすることが多大あります。
人間欲は誰しも持っているものですが、普段から欲を出したがる人は、それだけの人生欲を貴めているのでしょうが、それをプラスにして、ここまで生きていることは凄いと想います。
ささやかな人間欲しか持ってない平凡な社会人は、それなりの幸福な家庭とか、生き方をしているのでしょうが、欲を出すということは、それだけ多くのパワーを我が身に与えながら、酷使しているとか、勉強している、身体を張った、必死で生きていることなのでしょうかね。
人間には知恵とか身体能力、考えるパワーを上手に活かすアイディア、行動力、そして運がありますが、多くの人は努力とかマイペース、ごく普通が当たり前の社会人として存在しています。
際立つ人間欲は大変なのですが、その欲があればこそ頑張れるスポーツ選手もいます。一般人の私達は、とにかく凡人であり、社会にとけ込んだ見栄っ張りな生き方をしない、平凡な生き方が長生きできそうですね。
お話しを180度変えて、私の子供時代を紹介してみましょう。
私のペンネームにしている「大和三郎丸」の「大和」は、日本の意味をしています。「三郎丸」は、生まれた北九州市小倉三郎丸をPRします。父は畳店を開業させ、若いときは5~6人の弟子がいて、大型機械が深夜までガタガタ、ゴゥゴゥ鳴っていた、そのそばで育ちました。昭和25年~35年ごろの日本国経済が最も成長していた時代でしたが、その数年後、父の事業が破たんし、母が結核で隔離され家庭が崩壊し、国から保護をもらうほど落ち込みました。
長男の私は「絶対、商売人にはならない!!」安定した幸福な社会人になる夢を持ちました。当然、弟達もそのことを想い、夢を描きました。十分な勉強はしていませんが、努力とか頑張りには、誰にも敗けないぐらい三兄弟は夢を追い続け、今があります。
父ができなかった事、母が求めた事を必死に追い続け、理想の家庭を求め人間欲を貴めました。その事で私の子供には夢やロマンを持ってほしいプランを、小学生の頃からプレゼンスさせながら、教育というか、生き方の方向性を話し求めて来ました。そのことの現実性は「親の背中を見て子供は育つ」という一つのセオリーでもありました。私の考え方は、父の生き方を否定したものであり「私こそ全て!!」という想い込みで子供を育てたつもりでした。
一つの職業に人生を捧げた私ですが、平凡感は心残り。しかし、誰にも迷惑をかけず、安定した生活の中で幸福な家庭を築くことが私の望むべき道でしたから、これで良かったと想います。その上で今、こうした文章を書き、趣味の釣り新聞を39年間、発行していること、そして2006年より始めたホームページは、妻と一緒にできている私の道しるべ、としています。これで良かったと想います。そして弟二人も、私と同じような人生を歩んでいることで、やっぱり父に似て真面目で頑張り屋、そして、お人好しさんと、妻がホメてくれることに「ありがとう」と素直に言える私達三兄弟です。
人間欲の使い方は、幸福な家庭を作る。育てる。守る。ことをしながら、社会で貢献できるとか、活かされる、思いやりのハートを、どれだけたくさん自己PRできるか、実現できるか。このことの積み重ねが、平和な社会を築くJAPANの国民性なのでしょうかね。
「日本人ってイイですねェー」人情深くて、義理堅い。人々に優しく、思いやりのハートをたくさん持ち、おもてなしのコミュニケーションが凄くできる人種みたい。ただ、若い人は、まだその余裕がなく無理。しかし、幸福度の追求から人間欲を貴め、人生を積み重ねると必ず日本人特有の絆社会に活かされると想いますね。
その上で人間欲というものは、他人を、人を、押しのけ、自己中心で物事を考えるのでなく、自己の努力と誠実さをPRしながら、和のハートで他人のパワーをプラスし、平等的な精神で絆社会を活かしたアクションプログラムを充実させることが大切。その上で、お世話係をさせてもらっている立ち位置で、人の上に立つとか、リーダーを発揮させながら、人々の模範人となることを考えたいですね。
人間欲の追求は自己だけでなく、家族とか地域社会に活かしてこそ、本当の人としての道を歩めることだと想うのです。
私の人間欲は微々たるもので、けっして家族を満足させることは出来ませんでしたが、平和とか、優しい、思いやり、気遣いから、おもてなしのハートを持つことで、支えられた人として、精一杯できることを、出来るだけしたつもりです。
そのことで自我自賛ではありますが、兄弟仲良く、ご親戚付き合いとか、ご近所、地域社会で「上瀧さん」「ジョーさん」と親しみを込め、声掛けしてくれる方がたくさんいます。
幸福になりたいハートは、毎日毎日の人間欲の積み重ねがありますが、社会に守られた私達であり、優しいコミュニケーションを、たくさんの人々と楽しみたいと想います。
2016.11.
ペンネーム
私達のお爺ちゃん、牛島家の法事について、真心こめてご案内、報告 |
拝啓 秋らしい季節になりましたこの頃ですが、皆様お変わりありませんか、お伺い申し上げます。
さて、先日の9月18日、牛島家の法要を、弟の上瀧哲郎さん家(行橋市宮の杜)に於いて、行橋市今川、正山寺さん、浄土真宗本願寺派、生土昌行さまのお念仏により行いました。
牛島家とは私の母、上瀧よしえ(旧姓 牛島よしえ)の、北九州市小倉、牛島家のご先祖様のことで、曾祖父、牛島為七、ナカさんの親族となります。
その方の子、牛島栄六、チヨさんが私、母方のおじいちゃんとなる方で、昭和の時代、小倉守恒に住いを構え、この家で、最初の初孫として生まれたのが私です。
詳しく申し上げると、牛島栄六おじいちゃんは曾祖父、為七の6番目の子供となりますが、ご本家は佐賀市です。その中で栄六おじいちゃんは10人の子供が生まれ、5人の子は幼少のとき亡くなりましたが、長女の牛島よしえ、が私の母です。
ここでは小倉、牛島家のお話しをさせて頂きます。長男は善六さん。次男は亨さん。三男が寛さん、この方は熊本市の牛島家へ養子となりました。四男の昭さんは小倉、小林家に養子に行かれましたので、長男の善六さんが小倉、牛島家を継ぐ立場になりましたが、残念なことに初婚のミツエさんに子供がなく、再婚された方にも子供ができなかった、そして48才で去りました。
次男の亨さんは、牛島家を継ぐ友行が生まれましたが、複雑な事情に於かれまして、10代のころより行方知れずです。亨さんは再婚されて二人の可愛い女の子が生まれ、3才と4才のころ、43才の若さでお亡くなりになり、その後、二人の女の子とは離縁となり、その後の消息は分かりません。
その事で小倉、牛島家を継ぐ方はいません。しかし、私達兄弟や孫が遊んだ小倉守恒の丘に、牛島家の墓があります。その隣りに上瀧家の墓を置かせてもらっています。
その墓所を代々守って行くことを、栄六おじいちゃんの遺言として、孫にあたる熊本、牛島家、小林家、上瀧家の孫達が集まって、栄六おじいちゃん50回忌、チヨおばあちゃん37回忌を合わせて、北九州小倉、牛島家の法要を行いました。
小倉、牛島家のご本家は佐賀市にありますが、ご本家のお墓参りを32年前、母と行きました。高さ4.3mの石墓に牛島家代々とありました。その後の訪問では、ご本家様に、ご案内され、新しい今風の墓にお参りしました。その後、お寺参りをし、本家では優しい、おもてなしを妻と一緒に頂いたこと。そして牛島家の元となる家系は龍造寺隆信から続く鍋島藩、牛島家泰の遠縁となり、元がある佐賀市の牛島家の家屋が歴史資料館になり一般公開されている事など教えていただきました。詳しくはホームページ、上瀧勇哲のホームスタジオから「牛島家」で紹介しています。
牛島栄六、千代さんの法事で、お念仏を頂いている生土昌行様が私達にお説経をされます。今、私が生きていることは、父、母があり、その祖父母があり、たくさんの親族で私達は生かされています。その感謝の念が法事、法要であり、心の支えが、たくさんの人々に伝えられることを、もう一度感謝し、手を合わせる大切さを教えて頂きました。
今年も福岡県みやこ町でとれた「夢つくし」を贈ります。お米を作っている、みやこ町の進さんは江戸時代から続く庄屋さんで「代議士をしていた時代もあったんよ」と、進おばあちゃんは、今、一人暮らし。それで、我が家に数度、お食事会に来ましたね。楽しい進おばあちゃんは、趣味のようなお店を持っていて、この町で名前を知らない方はいないぐらい自負します。
その家系の方が、山並みから注ぐ清水と、赤土で作付けした稲穂が「夢つくし」なのですね。
初秋に刈った稲地に菊の花を大量に植え、正月から春に菊の花を道の駅やJA農協などで販売し、再び5月に田植えをすることで「赤土がすごく肥えているのですよ」と、米と菊花、農家を兼業している、進 政夫さんのお話しです。
私達は日々、たくさんの人々とコミュニケーションしながら毎日を楽しんでいますが、健康で何不自由なく過ごせることが、いかに凄いことか、身を持って体験できています。
そのような私達ですが、パワーが残っていれば、今の若者を育てるとか、頑張ってもらえることを、サポートしている私達夫婦です。みなさん、身体が資本です、ご自愛下さい。 敬具
2016.10.
2016.6. 太宰府天満宮から歩いて5分の、九州国立博物館(太宰府市)へ行きました。
私と妻の、毎日のライフスタイルをホームページ、「シニア夫婦のライフレター」&「My Life Stage 2016.」で紹介中です。近くに来られたら是非お立ち寄りください、お食事会、如何でしょうか。
北九州市小倉、牛島栄六(祖父) 孫 家族の皆様へ
拝啓 毎日が暑い夏季も、やっと秋を迎える季節になりました、この頃ですが、皆様、お変わりありませんか、お伺い申し上げます。
さて、リオ・オリンピック真っ盛りのお盆に、身近な、ご親戚皆様とお会いでき、ささやかな、お話しができました。会話することの多くは、やはり昔話ばかりですが、こうして元気な笑顔が見られ、これからも社会で、まだまだ活躍できることを互いに誓い合い、家族を幸せにしながら「又、会いましょうね」そんなコミュニティーがありました。
さて、私達は牛島栄六、チヨさんから繋がっている親族であり、小倉守恒には、そのお墓があります。その、お墓、隣に上瀧家のお墓を置かせてもらっていることを感謝しながら、年5~6度のお墓参りを三兄弟が入れ代わり、させてもらっています。又、小林 昭様、その家族皆様がお参りしてくれて、いつもお花が絶えません。そして益田家の皆さんも、わざわざ遠くから、お参りしてもらったりで、栄六おじいちゃん、チヨおばあちゃん、そしてご一緒に眠っている親族皆様も喜んでいてくれると想います。
そのような牛島家を継ぐ後継者はいませんが、孫の私達が小倉、牛島家を永久に守ることをお願いします。私は66才となり、栄六、チヨ、おじいちゃんの最初の初孫として現在の牛島家墓所がある、そばの茅葺家から生まれました。私がどのように誕生したかは、ホームページ「上瀧家のルーツを探す」と「牛島家」のページをご覧下さい。私が知る限りの事、栄六おじいちゃんや父、母、4人の叔父さんから聞いたことを書いています。
その上で今年は牛島家の法事をしたい!! ことを、前々から決めていましたが、先日、小林 昭おじさんと相談して、下記のように、ご案内することになりました。
申し分けありませんが、上瀧家の仏壇に牛島栄六おじいちゃんと、チヨおばあちゃんの位牌を置き、浄土真宗本願寺派、行橋市、正山寺住職、生土昌行様が、お念仏、お経をあげるだけの簡素な法要でいたします。
その後、上瀧家が年5度、法事をしているスタイルの、家族でする、お食事会を生土昌行ご院家様と共にいたします。ここまでの法事を3時間ほど、ご一緒に、できたら幸せです。
尚、お布施とか会費は一切頂きません。又、お返しなどの準備は、しませんので、普段着で訪問頂くようお願い致します。その上で、ご参加いただける方は、簡素な食事の準備がありますので、人数などお知らせ下さい。重ねて申し上げます。ご家族皆様で訪問頂き、この機会に顔が見られたら、お話しができたらイイナァー♡ そんな法事です。 敬具
文責 上瀧勇哲
幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは №7へリンク |
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2016.9.18.小倉牛島家の法事をしました |
洋子ちゃん、お気に入りの庭園は、私の手ずく♪リです |
福岡県行橋市眞菰にある弘法大師小屋 |
側にある臨済宗の寺
行橋市今川正山寺の本殿へ訪問