2017.1.1. あけまして おめでとう ございますmusickある愛の詩(ポール・モーリア) №08


2017.1. あけまして おめでとう ございます。今年もどうぞ よろしくお願いします。上、写真の洋子ちゃんオハギ作りは毎年の法事、ご先祖様を感謝して法要のとき、お供えするものです。母が大変好きだったオハギは、洋子ちゃん手ずくり、私もこの数年オハギを丸めていますね。約45個できるオハギはご近所さんとか、米農家の進さん、そして法要に来てくれる方、正山寺、生土昌行様も大好物で5個はペロリ♡。そんなオハギ作りも年5度。皆さん上瀧家の法事は毎回オハギと洋子ちゃん手ずくりの、お食事会しています。来てくれる方はどなたでもokです♡。お電話下さい、ちなみに酒はありません。



 幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは

生活リズムる、お掃除環境美化アクションプログラム


                            大和三郎丸 (上瀧勇哲)


このお手紙は、機関誌 サーフメイズJAPAN・正月号に記載したものをコピーしています


   幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは


生活のリズムを作る、お掃除と、環境美化のアクションプログラム №7

                大和三郎丸  上瀧(じょうたき)(ゆう)(てつ)

みなさん、こんにちは。お元気でしょうか。
紹介しているテーマは、現代人には古くさく、触れたくない、お話しのようですが、意外なところで活かされています。
今度は、私の私生活で積み重ねていることをアピールしてみましょう。


私の父の職業は畳店でした。私が生まれたときは、小さなお店をもつ企業人でもありました。その住まいで毎日、大きな機械がゴゥゴゥ鳴り響き、大量のイグサ床が作られ、奇麗な表ゴザが張られ、重たい畳が大量に出来ていました。
まだ小学校に通っているころで、住家と工場が一緒だったので、ゴミというか、ホコリがまんえんし、寝床の畳表が真っ白になるぐらいホコリがありました。それで毎日、母が掃除という分けにもいきませんので、子供の頃から私はホウキと雑巾で部屋の掃除をしていました。
三人兄弟の長男の私は、いつもリーダー役で、父から命令というか「お小遣いをヤルから掃除セィ!!」ということが、しょっ中でしたね。中学に入る頃、中古の机をご近所さんから頂いて勉強。これが私の人生の始まりと、今でも想っています。
自分の机、子供の室、手作りの本箱、棚作りを自己流でやりながら、勉強しやすい環境を作りました。その上で掃除は欠かせません。
机の上が真っ白になるホコリの中では勉強に集中できませんから、毎日の掃除は欠かせませんでした。


そして、私に与えられた物や室は自己流で管理し、学びとか遊びの空間を家中に広げていきました。父が、母が「ありがとう」と言われるような、環境作りをすることが、遊びとしてとらえられ、けっこうご近所の皆さんから「勇ちゃんはエライ」とか、ホメ言葉をもらいました。
そんな生活には、多くのハンディがありましたが、三兄弟は、これを少しずつクリアーしていきます。
親が出来ない、しないことを、子供がやってのけることを、他人様が何処かで見ているのですね。


中学を卒業して、授業料の安い国立の高等学校の試験に受かり、印刷課程を勉強しました。持ち前の生真面目と掃除上手?で2年間、クラス委員長を務めました。
その恩師が同じ地域に住んでいます。
会うたびに「君はみんなと違っていた」と言われます。それだけ、美化とか掃除が好き?……そんな感じの子供でした。

その学校から北九州市若松の吉田印刷所を紹介してくれました。
ご近所の皆さんは口をそろえて「読売、朝日、毎日新聞社に入りなさい!! 」と言われたのですが、なぜかしら一番成績の良かった者が吉田印刷所に行くことになっていたのです。


その吉田印刷所は、本誌で何度も紹介した国会議員、吉田磯吉さんの甥にあたる方が経営者。又、麻生太郎さんと繋がる政治の世界でも大活躍の吉田正人社長でもありました。その社内でも私は掃除と仕事がしやすい環境美化、自己の職場は、とにかく奇麗主義、そして生真面目。
これが私のモットーとして、社長、専務から凄く可愛がられました。

上司の空閑敏明課長は仕事を教えて頂いた恩師、そして魚釣りでも師匠でもありました。仕事と魚釣り、そして釣り場美化にうるさい方で、師匠と釣りに行くと、なぜかしら「上瀧、ゴミ拾ってまわれ!! 」と、ゴミ袋を良く、くれたものでした。

空閑課長は、若者を育てる立場から、会社から外の、対外企業経営者とのアクションプログラムを趣味にプラスさせ、広く対人関係を築きました。
その恩師は50代で去りましたが、悲しい結末を私に教えてくれました。


30代に入り、印刷所もアナログからデジタル化が進み、ワープロからパソコンに繋ぐ変革が求められました。時代を先取りしないと生きていけないことを、早く察知した私は、出始めのワープロを購入し、試行錯誤して会社、職場の改革に努めましたが、経営者がそれを考えないと、社員がイメージを変えないと、新しいデジタル文化に乗れないのでした。そのことで一大決心して、企業ベンチャーを起こすことにしました。
しかし、1年で挫折、資本パワーがないと無理でした。


私の30代は行動力、パワー、ヤル気がマンマンで、何でも出来るハートがありました。しかし、世の中そんなに甘くありませんから、やはり印刷人であり続け、40代は相変わらず、釣り場美化とか、(公財)日本釣振興会、高宮俊諦さん。
九州磯釣連盟、下村要一さん。九州磯釣連盟北九州支部の松井睦明さんの、後方で北九州市の海辺環境を整える美化の取り組みから、行政に関わる様々な美化活動に取り組みました。

そして、住んでいる北九州市小倉南、希望ヶ丘団地580世帯の公園愛護会会長として、あるいは北九州市公園課とタイアップしてゴミマナーアップ、公園清掃美化、自然環境美化、その新聞発行など、子供会、老人会問わず、地域を上げて取り組み、RKB毎日テレビの取材とか、北九州市の「みどりの日」緑化大会で最優秀表彰などされました。

私の40代は趣味の領域から、地域と子供に関わる人間関係を数多く育んだ年でもありましたね。

20
30代は北九州若松文化を知り、ファミリーで遊べた時代でした。
そして40代は北九州小倉文化で、人生の歩みを整える役目を果たした時代でした。

50代に入る前、勤める会社、社長から共同経営を求められましたが辞退し、行橋市の企業を紹介され入社。そして63才で定年、今に至っています。
そのことで行橋市に住いを構え15年になりました。
今、私は毎日、室のフローリングの掃除をしています。小さなガーデニングの手入れとか、外園の樹木や植木、菜園などをしながらご近所付き合い。
おかげさまで「上瀧さん家は、いつ来ても奇麗、それに楽しい玄関とか、お庭も公園みたいにステキ?」と言ってくれます。孫娘のブランコや、4才の足跡に幼稚園で作った焼き物などを、タイルやレンガ石などと一緒に組み合わせ、埋め「これが美優ちゃん3才」「これが5才」とかの想い出がイッパイの庭。大阪から帰ってくると、彼女が貝ガラとかタコツボ、陶器を金ヅチでパリンパリン割ってくれて「お父さん、もぅーなーィの」と言ってくれて遊ぶ庭があるのですね。

行橋市の田中純市長は、私が勤めていた会社のオーナーです。
その友人に城戸市議会議長さん。いずれの政界人も、我が家はもちろん、弟家、上瀧家の仏様に、手を合わせてくれる方です。
そのような幅広い人脈も「絆社会」に欠かせない優しいお付き合い。そして暖かい「おもてなしのハート」があればこそ、繋がる社会だと想います。


みなさん、歩みの中で、顔を合わせたときには、だれでも「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」のご挨拶をしましょう。
幸福な人生を築くには、優しいコミュニケーションが大切ですね。


2017.1.1.
           ペンネーム 大和(やまと)三郎丸(さぶろうまる)上瀧(じょうたき)(ゆう)(てつ)

※ペンネームの大和は、日本の。三郎丸は、私が生まれ育った地名です。

◎ホームページ
「幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは」1~№6まで配信中です。

②「上瀧勇哲のホームスタジオ」100リンク、3000Pを2006年より配信中です。



幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは №8へリンク



幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは2017


お正月裕美ちゃんが贈ってくれたプレゼント。

洋子ちゃんが好きなチョコレートたくさんは有名デパートで、並んで買うほどとかです。♡

私が好きなコンペイトウにベリービインズ♡。ありがとう♡。美優ちゃん、裕美ちゃん♡。

北九州市門司区にある国際輸入家具店です。



このお店で洋子ちゃん3点かいました。

美優ちゃんのプレゼントです。
























       幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは №7
生活のリズムを作るお掃除と環境美化のアクションプログラム