2017.3.1.幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは  musick そよ風のメヌエット(ポール・モーリア) №04

2017.3.12. 長崎県大村市から、義理のお兄さんと遊びに来た洋子ちゃんのお母さん、早速、北九州市若松区の親戚めぐりをしました。高塔山のタマエさん家で、漫才して皆で大笑い、英二さん家でも温かいおもてなし、そして一週間、行橋で遊びましたね、楽しい事が生甲斐、まだまだ元気で、たくさん遊びましょうね、お母さん。♡♡♡

幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは
行橋に遊びに来た、お母さんの一週間





行橋に来て早速お食事会。

次の日、理容師・洋子ちゃんがお母さんの髪切って、染めて、お風呂に入り、さっぱりしたツタエお母さん、洋子ちゃんとハイチーズ、幸福ですか、お母さん


今日の夕食は軟らかい煮物、イワシ、ホウレンソウ色々6品は洋子ちゃん手ずく♪リ。

若松ボートに連れて行かれました

そこでラーメン、チョコレート、コヒー、いろいろ正臣さんが買ってくれました。



私達はヒマでしょうがない、私昼寝しました。

洋子ちゃんオニギリも完食しました。

仲良しの3人。

正臣さんラーメン半分残しましたよ。

若松ボートです。

哲ちゃんがマテガイ掘ってきました、早速お食事会が始まります。

バター焼きのマテガイが旨い。

テーブルの料理は7品ありましたよ。みんな洋子ちゃんの手ずく♪リです。























幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは







幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは

  
趣味の釣りを活かし、若者を育てる、

      サポートする、環境を大切にしたい   
 №8

幸福な家庭を築く信仰と、社会で活かされる宗教とは
趣味の釣りを活かし、若者を育てる、サポートする、環境を大切にしたい    №8

                        大和三郎丸  上瀧(じょうたき)(ゆう)(てつ)

時の流れは早いもので私は66才になりました。愛する洋子ちゃんは?、もう十分生きてきました。別に遺言書を書いている訳ではありませんが66年生きたということは、それなり長い人生経験を積んできたことを言っています。
世間で言う「経験豊かなシニア世代が今からどう生きるか!!」を問題提起しているのですが、私のプログラムには、そんなに多く活力は残っていません。いかに余生を過ごすか、優しい妻と健康で長生きし、いつのまにか次の世に行けたらイイな、というのが理想な生き方と想っています。
それでも社会で生きる以上、それなりのことをしないと、生きていけないのが今の世です。
人生のプログラムには、なぜかしら様々な催しとかアクションが求められることが日常的にたくさんありますよね、したくないことを押しつけられたりすることも多だありますが、JAPAN特有の民族的な義理人情の世界感で、私は凄くこのハートに弱いのです。
静かに余生を送る社会感は、今の日本国にはありえませんが、そのことをこだわると人間社会の絆が一変し、楽しくない、淋しい定めで終えます。私は、そのような生き方をしたくありませんが、定年を迎えると、どうしてもトップダウンし、社会から身を引くことになります。けれども今からの若者を育てるとか、応援したい、サポートすることをプロミングし、家族とか、ご近所、釣り仲間達が、出来るところで活力をズームアップします。そのようなことを年金世代に入った私達が少しずつ取り組む事にしています♡


昨秋は長崎県上五島へ妻と、いつもの釣りスタイルで釣り旅行しました。
8日間の長旅も、ほとんどオートキャンプスタイルでしたから8万円ほどの経費でオミヤゲが買えるぐらい節約できました。そしてシロキスとかチヌなど、お魚さんが大漁でしたから大満足のお魚釣りでしたね。
その8日間は上五島、7つの島めぐりとか、8っの教会めぐり、16ヶ所の海辺でシーガラスとかサンゴ石、珍しい貝ガラとか石コロなどを採取しました。そのことでお友達ができましたね。
ゆっくりした時間の中でコミュニケーションできる釣り旅行は、普通の観光旅行と違い、自分勝手にアクションし、ルールも決め事もなく、自由に、好き勝手にドライブしながら離島をめぐって遊ぶのですよ。海辺には自然景観がたくさんあり、
青い海と緑の山並が直接触れ合える8日間、最高のロケーションでいたね。
そのステージで生甲斐と癒しを満喫できる私達夫婦は幸せです。詳しくは私のホームページ「上瀧勇哲のホームスタジオ」からご覧下さい。


そのような遊びの世界を始めて43年になります。結婚してからとなりますが、洋子ちゃんが20才で裕美ちゃんが生まれ、5年後には真一が生まれ、一男一女の私生活が始まってからも、ズーッとファミリーフィッシングしていましたね。
そして魚釣りは、兄弟とか洋子ちゃんのお兄さんを巻き込み、それはそれで、すごーィことを私達はしていましたね。私のホームページを読んでくれたら分かるのですが「釣りは生きる糧であった」とも言えます。
もちろん妻や子供、家庭も大切ですが、会社に勤める事だって凄く大変だったのです。お金なしでは幸福な家庭を築くとか、魚釣りには行かれませんので、とにかく会社勤めだけは120%死にもの狂いで奉仕しましたね。
正直、社員150人の吉田印刷所のトップテンぐらいの成績と、無遅刻、無欠勤なし。有休もほとんど使わないスタイルでしたから、社長から好かれ課長までレベルアップできました。しかし「釣りキチ」でなかったら、もっと上に昇れたと想うのです。

そのような、求められたアクションとか、ステージに立つ私のベースは、子供時代の生活感が生きています。この時代がなかったら多分、今の私はありません。
私と同様な考え方を持つ弟二人も、家族を大切にした社会環境をトップギァーで生き抜いてきましたから「だんご三兄弟はエライ」と洋子ちゃんが、いつも皆の前でホメてくれます?


「幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは」の、お話しをしているのですが、私と父、上瀧松義の考えは全く違います。父の生き方は時代の流れに沿った信仰心で、三人の子供を温かく見守ってくれたと想います。
父の言葉の中に「この世は徳を積むことをせよ!!。徳を積むことで来世の姿が見える」と言うのです。「生きている今を大切にし、信仰心を燃やし、浄土真宗の教えを聞き、南無阿弥陀仏を唱え、毎日を生きること」そうすれば来世の私は極楽浄土に行かれ、幸福になれる!!というのです。

他にも仏の諭で言う、難しいことをたくさん話してくれたのですが、小学生から中学生の私には難しい宗教のことは分からなかったのです。もっとも分かろうとしない現実もありましたね。
それでも父の信仰心と家庭生活は、かけ離れたもので「幸せとはなんだろう?」と子供心に良く想ったものです。

宗教とは幸福の上で成り立つもので、幸せな生活を求めるには、まず自己が一生懸命、社会に勤め家族に迷惑をかけない環境作る。その余裕を持っところで、ご先祖様とか、父母の教えをイメージし、考え方を共有することではないか、と、私は想うのです。

決して身の丈を越えるものでなく、家族が大切、自己の幸せが大切とし、人間欲の追求は家族を守るだけのもので十分。その上で平和とか、絆愛を追求したアクションプログラムを整え、毎日、毎日を一歩ずつ、少しずつ積み重ねてこの世を去りたい。そして誰からでも「勇哲さんは幸福な人だった」と、言われるような生き方をしたい、と想います。



お話しは変わり「機関誌 サーフメイズ JAPAN」は、妻と私のコミュニティー紙として発行している釣り新聞ですが、内容は自分勝手に編集し、このような文、稿も記載しています。もちろんスポンサーはありません、ボランテア奉仕のハートで続けています。

この新聞を上瀧家ご先祖様を見守ってくれる正山寺さん、生土昌行ご院家様にも毎号お届けします。又、父、母がお世話になった北九州市小倉の正圓寺 前住職 井上淳信様にも、お届けして「上瀧さんの息子さんが行橋市でガンバッておられる!!」ことを応援してくれます。また佐賀県の小城市や、佐賀市内など、あっちこっちで血縁関係で繋がる人々がいらしゃいます。訪問したとき、この「機関誌 サーフメイズ JAPAN」を配布しています。

好き勝手な使い方を、釣り仲間以外でも自由に手配りできることで、内容も雑記になりますが、私がシニア世代の仲間入りした証にもなります。
そして一生懸命の釣りでなく、食べれるだけ、お魚さんをイジメ、美味しく頂くことを50才ころより始め、リリース魚も増えています。
釣れたお魚さんを洋子ちゃんが上手に料理し頂くとき、手を合わせて「いただきます」とか、時々「南無阿弥陀仏」と心で唱え、魚さんとかニワトリさんの命に感謝しています。


いつも楽しい時間は正山寺生土昌行さんと、お話しです。今日は2時間、あっという間でした。ありがとうございます。♡

今日は、まさかのピザがありましたよ、私1枚だけ、若くない私にはチョットむりです。



そして毎年の法事は年5度、春のお彼岸。母の命日が7月12日。夏のお盆。秋のお彼岸。父の命日が1214日。その法要に正山寺、生土昌行ご院家様が、実家がある上瀧哲郎さん家に来て、お経を上げていただき、ささやかなお食事会は毎度、洋子ちゃんの手料理で、来てくれた皆さんと頂きます。もちろん生土昌行ご院家様は必ず、おかわりしますね。洋子ちゃんの「お食事が美味しい」と言ってくれ、みんな洋子ちゃんの大ファンなんです。
そうそう、法事に欠かせない「おはぎ」は、朝6時から夫婦で50コ作り、ご近所におすそ分けしたり、新米を頂く米作りの進おばあちゃん。そして来てくれた皆さんにプレゼントして、母が凄く喜んでくれている♡と、想いますね。


そんな私達を、ご先祖様が喜んでくれるでしょうか。でも、これが私達の流儀として、今いかされています。皆さんお食事会、参加しませんか、夫婦二人暮らし、お電話して釣りコミュニケーションできますよ♡                   つづく

2017.3. 春の、お彼岸
    

 
ツタエお母さんと洋子ちゃんは、香春町の道の駅でナスビを買いました、今晩の焼きナスビになります

正臣さんと勝山ポートピアに行き、カツカレーおごってもらいました。それにコヒーとかチョコレート、いろいろたくさん買ってくれました。

本文は機関誌 サーフメイズ JAPAN №312号 2017.3.1.発行したコピーです。

  My Life Stage                        №29

                 九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部  上瀧(じょうたき)(ゆう)(てつ)

みなさん、こんにちは。お元気でお魚釣り楽しんでいますか? 私は毎週、魚さんをイジメていますョ、といっても、少ない魚さんを、どうやって釣るかテーマにし、必死で釣りをしているのです。その魚さんを奥さまが優しく料理し毎日、美味しく頂いていますね♡。

さて、お正月は、みなさん何処か、お出掛けしましたか?

私達は恒例の初詣を、地域の神社と関門大橋が架かる門司「めかり神社」に行きました。
急潮の関門海峡、昔も今も変わることなく、渦を巻き、突っ走っていますね。
そんな景観が大好きで、魚釣りと合わせてもって、今年も魚さんが、たくさん釣れ、55㎝オーバーのチヌに、グレは50㎝でイイから、私の仕掛けを食ってくれるよう、お願いしました
そしてオミクジは大吉♡。洋子ちゃんも? でしたが、魚さんのオミクジが、ほしくて買ったから「マァ、イイヤー……?」ということで、最近のオミクジは色々様々ありますね。
そんな関門海峡の遊歩道を散策したり、めかり山頂の城山公園から見る関門大橋をセンターにして、海峡の遠く若松まで見えましたね♡。もちろん下関市内から巌流島、玄海灘。東は中国自動車道から続く本洲の景観は、いつ見ても壮大で、もう歴史ドラマを想像するリアルタイムの時間を過ごすことが出来ましたね♡。
そして「お父さん、食べる?」と、洋子ちゃんがチョコレートをくれましたね♡。
皆さん、その、めかり海岸遊歩道でメバリングしませんか。型の良いアコウが釣れますよ!!
すぐそばに無料の駐車場があり、ファミリーフィッシングとか観光なら紹介した、めかり神社隣りに関門トンネル人道入り口があります。歩いて下関に行けるのですよ。
そして関門大橋、橋台下から海峡の渦潮を見ながら釣りもできます。そばに温水トイレに手洗いのある公園。その海岸遊歩道を歩いてノーフォーク広場、ここでもチヌ、クロが釣れますが、ベンチで若人がいつも寛いでいます。その広場から更に歩いて門司港レトロに行けます。
ここまで行くと150%観光、もう紹介しきれないぐらい遊ぶところがあります。

私は年に5回は門司港レトロで遊んでいますが、この辺に詳しい住人の平山義隆さんがいます。

その上で、ぜひ関門海峡ミュージアム(関門海峡ドラマシップ)に入館して下さい。
ここは、いつ来ても賑やか。関門海峡の歴史を感じるところですが、1F2Fを探訪すると、静かな読書が出来るスペースがあるのですよ♡。4Fには、お魚釣りとか海上自衛隊のPRコースがあります。有料になりますがファミリーなら、ぜひご覧下さい。自衛艦の操船シュミレーションが出来たり、パソコンでゲーム感覚で遊べるコーナー、そして関門海峡の景観が凄いんです♡。そのブースの中で、関門海峡の魚達と釣りというコーナーがあり、私の趣味がチョットだけ紹介されています。昔使っていた、がまかつ投30号ロッドに、ダイワ・ミリオンマック9000番リールが展示されています。平成10年、北九州市政が、北九州市を観光でレベルアップさせる施設として門司港レトロ開発計画があったとき、その中核となる海峡ドラマシップ建設計画がありました。その館内に「関門海峡で遊ぶ釣り人」へ、スポットを当て、趣味のブースを作ることで、市民に愛される観光施設として参加しました。ぜひご覧ください。

その海峡ドラマシップ前に3年前オープンした旧大陸航路上屋・松永文庫は、無料の休息施設として、1Fは超大型の貨物船の模型がたくさん展示されており、隣接する松永文庫は凄いんですよ、高倉健さんとここで会えたり、映画ポスターから昔懐かしい文庫本があるのです。2Fは読書ができるスペースが広く、映画なども時々上映されています。お正月の初詣を書いていましたら、なぜかしら「門司港レトロ」まで行ってしまいましたので、私が主管している九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部と関門海峡の触れ合いをチョットだけ紹介します。

海洋磯釣倶楽部は昭和51年、北九州市若松区の吉田印刷所に勤務する方とか、その親戚兄弟など16名で結成しました。その次の年、九州磯釣連盟が昭和52年創立しましたので、海洋磯釣倶楽部も創立クラブとして参加しました。
海洋磯釣倶楽部には会員規約があり、毎月の月例釣り会とか大会に於いて、大物魚とか重量をトータルしての年間チャンピョン制度を設けています。その月例釣会のほとんどが近場釣りの若松ひびき灘とか関門海峡海岸の門司とか、めかり、太刀浦をホームグランドとして良く通った釣り場でした。そのターゲット魚は、サーフで狙う大物魚、カレイ・アイナメ・コイチ・イシモチ・チヌ・スズキで、関門海峡で釣れる魚ならほとんど検量し年間大物賞、重量賞としてプラスされるので、よく釣れる関門海峡は必死で釣ったのです。その頃の釣り場は海峡に面する海岸、波止は何処でも竿が出せ90%以上の海は釣り人が支配していました。その頃は田野浦、太刀浦の地名はありませんでした。陸軍弾薬倉庫があった岩場海岸は、大型の40㎝サイズのカレイ、アイナメが釣れていました。その岩場が少しずつ埋立てられ笠石という地名で全国版に紹介され、全日本サーフ北九州サーフ協会が大活躍した時代でした。

その全日本サーフ北九州協会、三萩野サーフキャステングクラブにも籍を置いていた私と弟達でありましたから、投げ釣りという競技にも深く関わり、たくさん釣れた楽しい想い出がイッパイありましたね。その門司区田野浦が今のように移り変わった45年間を見てきましたから凄いですよね。その私がまだ、この地で魚釣りをしているのですから♡
その当時の、めかり神社から続く左側の海岸は、足元が岩場と荒いジャリ石の海岸でした。側に、めかり水族館があり、私が小学生のころ遠足で行ったんですよね♡。
今は、その跡地に関門大橋・橋台があり、公園遊歩道が門司港レトロになったのです。
昭和の時代から平成にかけて、めまぐるしく関門海峡の景観は変わり、SORASとか門司港レトロ、開発工事が平成13年より始まり、15年に門司港レトロが開園され、関門海峡ドラマシップが、その中枢施設としてオープンされましたが、その時代の関門海峡の海は60%以上閉鎖され、釣り人が消えました。

九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部が発足して今年3月で42年になります。それ以前の吉田印刷磯釣倶楽部を加えると、もう50年ぐらい私は魚釣りクラブのお世話係をしているのですね。その当時からズーッとお付き合いしている大先輩の藤崎好夫さんは今も魚釣りとかお元気で、2月14日、NHK北九州vs福岡放送の番組に出ていましたよ、ファミリーで♡ 詳しい内容は藤崎好夫さんに聞いて下さい♡。 
まだまだ夫婦で魚釣りして遊べ、楽しみ、チョットだけ釣界でPRでき、今からの若者をサポートしながら生甲斐を感じている私です。皆さん、人生80年が当たり前になりましたね。
3月は長崎県九十九島から西海瀬戸へ。4月は長崎県平戸島と対馬をプログラムしています。


幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは №9へリンク







        幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは №8 趣味の釣りを活かし若者を育てるサポートする環境を大切にしたい