勇哲.洋子のポートフォリオ パート3 から 2016.9. 幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは  musick v.a.3.クラシック №1


長崎県大村市昊天宮で初詣は洋子ちゃんのお母さんと一緒、宮司だった見明のおじいちゃんの衣装とか、ものものを頂いてもらいましたね、そのようなお付き合いが、ご先祖様と繋がっている、昊天宮様と氏子になっています私達。その神社はいつ行っても奇麗、明るい、行きやすい、親しみやすいお話しができて、ハートがホットになりますね。大村に行ったら必ず行きます私達です。

         幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは
社会で生きる若者が恩師として崇める人間とは












2016 №1


  幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは

 社会で生きる若者が恩師として崇める人間とは   
№5


                              大和三郎丸 (上瀧勇哲)


                     大和三郎丸  上瀧(じょうたき)(ゆう)(てつ)

残暑の季節に入り、今年も大変な猛暑でしたね、皆さん、お変わりありませんか。
さて、私が若人とした時代、昭和40年代は夏日でも30°を越える日々は少なく、室内にエアコン、冷房をしていた家庭は、ほとんどありませんでした。勤務していた150人ほどの吉田印刷所さえ、窓をオープンに開け、大型の換気扇がゴゥゴゥ鳴り、支給された、ランニングシャツ1枚で、みんな仕事をしていました。



会社に入社し、18才ですぐに車の免許を取り、次の年の19才で、始めて購入した軽自動車、ホンダN360にはエアコンはなく、この後に続くホンダNⅢ、ホンダZまでエアコン装備はありませんでした。これが普通の時代でした。国政が豊かになりはじめた昭和50年代に入ると、マイカーを持つとか、通勤で利用する人々が増え、やっとエアコン装備車が普通になってきました。
それ以前の100万人都市、北九州市小倉魚町商店街通りには、学生時代から買物とか、金文堂レコード店、ナガリ書店に良く出入りしていましたね。真夏日の週末は、ここが居場所のように、良く通いました。これがエアコンとの出会いでした。
そして小倉駅前の中央会館や、京町銀天街の東宝、松竹館。電車通りの東映会館などの映画鑑賞は、涼しさを求めて通っていました。
それでもTOTO本社前の白銀銀天街の太陽館とか香春口の昭和館、大映館、片野の銀映館にはエアコンがなく、天井からの扇風機で、暑さをしのぎながら100円、200円の映画を観ていたのです。それが昭和3540年代でした。

その当時、街に行くということは、奇麗に正装していくのが普通で、電車とかバスで小倉駅前から小倉城につながる通りの玉屋デパート、井筒屋デパートには、若者の憩いの広場があり、その通りに面する商店街は、東京から刺激を受けたファッションが人気で、流行の衣服を求めていた私達でした。
商業都市、小倉の発展は若者達のストリー通りで発展したのですが、マイカーの普及で、若者の流れが郊外型に変わり、広く分散しながら、次のステップを歩んでいるのが今の時代です。




そのような古き良き、楽しい時代を駆け巡るとき、私の師匠、恩師となった方が三名いました。その方がいなかったら今の私は存在しません。その中で、生きる希望と糧を教えてくれたのが会社の上司であり、恩師でもあった空閑敏明さんは、ホームページ「海洋の礎を築いた恩師」で紹介しています。
そして、今もお元気しています、洋子ちゃんのお母さんは公私ともに、実の親以上に家族を守ってくれた方です。詳しくはホームページ「見明ツタエ・ポートフォリオ」ご覧下さい。
もう一方は、生きる道筋と社会学、幸福度をパワーアップさせるコミュニケーション力を教えてくれた、洋子ちゃん育ての親、西野 寿さんを、ここで紹介します。




西野 寿さん、その、お爺ちゃんと最初に出会ったのが、私が22才、初夏のころです。
洋子ちゃんが18才で、三度目のデートでした。彼女の家にマイカーで迎えに行ったとき、若松区赤島の家、国道前の舗道の掃除をしていました。 「こんにちは」と、ご挨拶して「おはよう」と声をかけられ、「洋子さん、迎えに来られたよ」と、外から声をかけ、家からクツを履きながら出て来た洋子ちゃんでした。
このとき、まさか、お爺ちゃんがいたなど聞いてなかったので、チョット驚きましたが、そんなことより可愛い奇麗な洋子ちゃんのことが気になって、しかたなかった若者でしたから、爺いちゃんの名前など聞くこともありませんでした。そして、洋子ちゃんのお兄さん、英二さんとも釣り仲間でしたから、弟の哲郎、周作も釣りキチして、5人兄妹弟で魚釣りとか遠征ドライブを、しょっちゅうやっていた時代が続き、いつの間にか彼女、洋子ちゃんと結婚することになりました。
釣り仲間の英二さんと釣りをしたり、洋子ちゃんと2年間交際もあったりで、頻繁にお爺ちゃん家に行くことが多くなっていましたから、親しくお話しができたり、お食事会に招待されたりしながら、なぜかしら洋子ちゃんファミリー、西野 寿おじいちゃんの、存在感が満パイで、虜になっていましたね。

人は、他人からイヤ事を言われると、一変でその人をキライになりますが、お爺ちゃんは、そのイヤ事を全く言いません。人を成長させるとか、伸ばす、励ますことをします。
おっとりした会話からユーモァーを散りばめ、コミュニケーションしながら人を引き付けます。
神経質な私は、人一倍、無口でコミュニケーションしないので、会話させるテクニックとか、好きにさせる話術は、教師のように説得力がありましたね。そんな、お爺ちゃんが大好きでした。




その、お爺ちゃんが生まれ育ったのは、北九州市洞海湾の中にあった中洲、島でした。その中洲は、今はありませんが、若戸大橋を架ける前に取り除かれたそうです。

その中洲から㈱三菱鉱業に入社し、世界を駆け巡る商社マンとして実力を発揮されました。その、お爺ちゃんの経歴は凄いものがあります。私は20代、お爺ちゃんは70代のころでしたから、孫をイメージされて洋子ちゃん、ともども可愛がってもらいましたね。



西野 寿 お爺ちゃんの凄いところは、営業力にあります。街に出かけるときは必ずスーツにネクタイして出掛けます。役場とか行政、会社に行くときでも、必ず応接室に通され、身分の高い人とお話しをします。良く分からないのですが、お買い物でも大枚が必要な場合には必ず、社長さんとか店長さんと、じっくりお話しをされ契約します。
洋子ちゃんの花嫁道具とか衣装とかを買いに行くときも、一度に決めず、再度とか、お知り合いとかの関係で決めます。
0年も若松に住み、営業畑のトップランナーとして活躍された方ですから、それなりの人脈もあるのでしょうが、会話術というか、ユーモアを交えて、人を説き伏せるとか、優しさの中に美徳を得ながら、対人関係をさらに築き上げるコミュニケーション力は、そばにいて凄く感じるのでした。

その上、70才とは思えない頭の良さと、学識の高さ、中国語と漢文を日本語に翻訳して教えてくれるのですが、私は全くNOです。

そして一番のお気に入りは料理上手です。お爺ちゃんのスキヤキ鍋とかステーキ肉、色々ご馳走になりましたが、最高です。人を和ませるとか、柔らかい雰囲気を作りながら、難題をクリアーしてゆくのは、やはり食事会とかの、お酒の席です。日本人特有の接待で対話すると、必ずイイ答えがでてきます。それで家に招待する、イコール食事会は、営業戦略に欠かせないものです。そのことを知った私は40年、今でも実戦しています。
洋子ちゃんと結婚しても、5年ほど、お爺ちゃん家に毎週のように、お食事会とか旅行、お買い物、○○誕生パーティ、お正月、お盆と、本当にたくさん遊んでもらえましたね。
その中で、西野 寿 お爺ちゃんのルーツ探しをしながら、兄弟、子供さんとの関係を築きました。そのことで、お爺ちゃんから慈母観音像、そして最後の遺言書まで頂きました。そのような事をホームページ「慈母観音像」で紹介しています。ぜひ、読んで下さい。

さて、本題に戻りますが、西野 寿 お爺ちゃんは神様を祀ります。それは西野家が松浦藩、藩主先任の蘭学師範であった玉置家を先祖とする家系でしたから、神様を司る家風が続いていました。後で紹介する西野 寿 お爺ちゃんの弟は長崎県、大村城の大村神社の神主でもあります。そのお爺ちゃん家の床の間横に、大きな5段ほどの祭壇があり、最上に大きい丸い鏡があります、祭壇前に座ると、その鏡に私が写っているのですね。
人が亡くなっても、大きな鯛が供えられ、野菜が、あ触れるぐらい供えられ、お米とか塩、お水は欠かせません。自然界にあるものを、そのまま祭壇に供え、お参りする風習なのですが、結婚式のような祭典が、葬儀でも同じように利用されますから、なぜかしら悲しみは感じられません。

神様信仰は日本古来の文化より続いていますが、文化とは人が作ったものです。自由勝手に創作したものが信仰として今に続いているのですが、人類の歴史を知れば、信仰というものは存在しません。人間が荘園を築き、権力を集約し始めたとき、必要となったのが、神という偽りの思想です、ファンタジーです。人間は知恵のある動物で、物事を考える領域を越え、もっと夢の先を追い求めます。死んだらどうなるのか、これは世界観なのですが、死んだ先の事を誰一人として説明できる人間はいません。死んだ人間が生き帰ることの事例もありません。

信仰心は今の現実を、どう生きたら良いのか、正しい道筋を考えますが、死んでから先の事を求める信仰はあり得ません。だれかが実証してくれたら、説明できたら、地球上の人間は、みんな、その人の話しを聞いてくれると想います。その上で現実を直視し、今の生き方を整えたり、正したり、戦争のない世界とか、人類はみな兄弟として、仲良く、同じように生きられる、事を望みたいですね。

私は、人が文化として作ったものは、それなりの価値観として認めますが、その人の為にパワーを捧げることは、したくありません。それよりも、私を生んでくれた母とか、育ててくれた父、そして、お爺ちゃん、お婆ちゃん、兄弟とか親族、お世話になった人々に、真っ先に感謝し、手を合わせ「ありがとう」の感謝をしたいと想います。そして、西野 寿 お爺ちゃんが、私を大人にしてくれた恩師であることを誇りに思います。また、会社先輩とか上司、社長や学校の先生、等々、私と関わり、生きる喜び、糧を齎してくれた方こそ、人として感謝する一番のハートではないでしょうか。

子供達が学校に行き、それなりのお勉強をして社会に出、たくさんの人々とお付き合いしながら人間社会の一員として生きていますが、その中で得る知識は、物凄いエネルギーで貴められます。
本を読み、テレビ、映画を観たりして教養を身につけますが、今の世の中から未来を考えたり、人類誕生の歴史ストリーから、エジプト、ヨーロッパ、中国の紀元前3000年の実証を学び、その中で始まった、人類における信仰文化をかいま見ると、現実の社会にある、たくさんの宗教とか信仰は「無」に等しいと想うのです。
しかしながら、現実を生きるには、今ある文化を尊重し「和」を持って、よりどころとし、社会に於ける常識を受けとめながら、人々とのコミュニケーションを楽しみ、人生を全うすることが大切かと想うのです。


そのような歩みをスローダウンさせている今、心の準備とか、人に迷惑をかけないとか、後々の事を考えながら少しずつ準備しているのが私です。しかし、もう少し遊びたい、身体が続く限り、そんなハートで今日も洋子ちゃんと、お出掛けします。みなさん、身体が動くときが花。今の内、一生懸命、遊んで下さいね、人に迷惑をかけない程度に、よろしく♡               つづく
2016..
























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  社会で生きる若者が恩師として崇める人間とは

西野寿、お爺ちゃんの形見、慈母観音像です。
オハギを作ったら一番にお供えします。


我が家には二つの神棚があります。この神棚は私達の護り神です。その前にある、二つのお人形さんは裕美ちゃんが作ってくれました。左が私、勇ちゃん♡、右が洋子ちゃんです♡

床の間にある神棚にもオハギをお供えして、手をたたきます。この神棚は西野寿、見明直雄お爺ちゃんの神様です。











長崎県大村病院で、洋子ちゃんのお母さんと洋子ちゃんです。





この日は大村病院から呼ばれてきました。

大村に来たら必ず昊天宮にお参りします。



毎年くる昊天宮さんは、いつ行っても奇麗、明るく応対してくれる巫女さん、若神主さんと、いつも明るいお話しがあります。

今日もお母さんと30分、長ーい話し、そしてオミクジ、福カキを買いましたね。

平成28年1月18日

三脚を置いてハイチーズしました。

昊天宮は見明お爺ちゃん、の、ご親戚になります。



幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは



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