勇哲.洋子のポートフォリオ パート3 から 2016.1.公開 幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは musick v.a.1.クラシック №12


2015.10.13~19. 長崎県上五島市へ釣り旅行8日間、その中で有川町頭ゲ島教会へ訪問しました。
奇麗なステンドガラスに太陽が眩しく入ると最高の輝き、聖母様が奇麗で優しそう?、洋子ちゃんを見ているようです。
そして、洋子ちゃんが祭壇の前でお祈りしましたね、するとその教会前の砂浜でシロキスが釣れたのですよ。これが上五島、最初のシロキスでしたから洋子ちゃんは偉い、お祈りしたのが良かったのでしょうか?。

2016 №1












    幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは
お寺さんと信仰心 その果てにあるもの №2


   お寺さんと信仰心、その果てにあるもの  №


                              
大和三郎丸 (上瀧勇哲)


  お寺さんと信仰心、その果てにあるもの

従兄弟の勝義さんは、お父さんが亡くなられ変わりました。
60才定年となり、お母さんが住むアパートで毎日、朝と夕方、仏壇の前でお経を上げています。また、ご近所の皆さんからそのようなお話しを聞きますね。
そして趣味のような、お寺巡りをされ、お説経を聞くのが大好きな方です。カレンダーには、気に入っているお寺さんのお説経日を書いています。
そして、昔から続いていること、上瀧家と牛島家のお墓に毎月一度ごろ、お花を添えてくれる心の優しい方です。


檀家としている正圓寺さんとの、お付き合いも皆さんご存知の通り、おばさんと勝義さんが信じられないくらい寄付をされます。しかしながら時々おばさんに会いに行くと「宝くじが当ったらなァー」と口癖のように貧乏していることを話します。

食べるものもなく、おばさんと勝義さんはともに栄養失調と医者から告げられています。特に、おばさんは骨と皮だけの痩せ細った体をし、いつも顔色が青白くしていました。
この現実を見かねて、洋子ちゃん手作りのオハギや惣菜を持って行くことが多くありましたが、残念なことに勝義さんが「甘くて食べられないから捨てた!!」と言います。
私達は、おばさんに食べてほしいから、わざわざ手作りして持って行くのです。

その後、おばさんは三度も骨折してリハビリ病院から介護老人ホームに変わり5年ほど過ごされ、顔立ちも、体力も回復して90才を越えている老人とは思えないほどで、会いに行くと「勇ちゃん、洋子ちゃん」と言って涙を流して喜んでくれます。しかし、この老人ホームでお亡くなりました。95才でした。

上瀧三兄弟は、勝義さん、おばさんは貧乏しているんだ、と、この時は皆そう想っていました。95才で亡くなったおばさん、勝義さんが毎日毎日、入所していたお母さんのお見舞いをしておりましたが、最後まで精一杯お母さんに尽くしました。そして91才で亡くなったお父さんを慕っていた勝義さんの心は皆さんご存知の通りです。
その上で、お二方の葬儀を見て、ご近所、世の人々との、付き合いのなさに私達は驚きました。


その勝義さんを緊急入院させたのが私です。その後の経過報告は以前に差し上げたお手紙通りです。その上で勝義さんから依頼された、おばさんの49日法要の件で、私は正圓寺に訪問し、前住職 井上淳信さんと2時間ほど会話したことも、お手紙にしたためた通りです。

ただ、住職がお寺内を案内してくれた所々で、浄土宗のお寺の中では九州で最大の立派な寺であると自慢します。しかし、これも檀家皆様のご寄附のたまものであること言います。その上で、本殿のカベに貼ってある、おばさんと勝義さんの寄付金を住職が教えてくれました。又、お父さんが亡くなられた後、信じられないぐらいの寄付をしたと、おばさんから何度も聞かされました。

その上で、お寺さんと檀家のあり方を考えるのですが、食べるのを惜しみ、暑さ、寒さに耐え、貧乏をしのぎ、栄養失調までして、お寺さんに奉仕する姿勢は今の社会ではありえないことです。


お話しは変わりますが、上瀧松義、父の生き方は42才のころより浄土宗の信仰にはまり込み、毎日、朝と夜、どうかすると昼でもお経を上げていました。子供の私達は父の後で経を唱えていることが中学1年まで続きました。イヤでイヤで、しょうがなかった三兄弟でしたが、父が信仰する寺から経本を借り、地獄絵図から餓鬼童などの様々な地獄絵を見せつけます。
そして信仰を熱心にすれば極楽世界があり、又、その中間にケド往生の世界がある。
死んだら三途の川を渡り、閻魔大王が……とあります。

又、父が通う寺にどれだけ私達は通ったでしょうか。色々な事が多大ありましたが、信仰は「命がけ」と父が言います。
食事をするときでも、父が浄土宗などの色々な説経をしてくれますので、イヤでイヤでしょうがなかった私達です。
ただ、父は優しく、怒ることは全くしませんし、ささやかな酒をたしなみながら、阿弥陀様の話しをするときが一番、機嫌の良いときでしたね。

でも夫婦ゲンカは絶えませんでした。

父は67才で脳梗塞で倒れ、9年間、病床で過ごしました。
入院生活は母と洋子ちゃんが時々見舞ってやるぐらいで、今のような介護保険などなく、リハビリはベッドの上だけ。そして食事は流動食を流し込むだけです。言葉も出ませんしコミュニケーションは涙目の父を見るだけで、とても可哀想な父でした。

そして亡くなる前、ガリガリに痩せ細った父を抱きかかえ、車に乗せ、行橋市そばの小波瀬病院に転院し、数ヶ月後に亡くなりました。

阿弥陀様、親鸞聖人様を一生懸命信仰し、手を合わせ、命をかけるぐらい、力強いお経を唱えた父の人生は、なんだったのでしょうか。又、子供のころの、私達三兄弟の生活苦は、なんだったのでしょうか。父が悪いとは言いませんが、宗教のあり方、本質を、ここで知りました。

そして母が亡くなり、私達三兄弟は、父の命日、母の命日、春の彼岸、盆、秋の彼岸の年5度、正山寺・生土昌行ご院家さんが、次男の哲郎さん家に来て、ありがたいお経をいただきます。
40才少々の生土昌行ご院家さんは二代目で、行橋市今川中学校のPTA会長から行橋市PTA連合会のお世話をした今頃のご院家さんです。

私達、上瀧家の法要は三兄弟と、来てくれる、親族みんなで、洋子ちゃん手作りのお食事会を楽しみます。高子さんも、いつも優しい心遣いをしてくれますし、そのような雰囲気を喜んで一緒にお膳を共にしてくれる生土昌行ご院家さんです。
そして法事に欠かせない50コほど手作りしたオハギを必ずお持ち帰り。もちろん来てくれた方から、ご近所までプレゼンスしているのが私達の法事です。
又、時々、正山寺さんの報恩講などのお世話係もしますが、三兄弟仲良く協力し、ご先祖様をもてなす心が信仰心だと、私は想います。


再度申しますが、お金では買えないものがある。
正山寺さんと檀家としているお付き合いは、お布施以外はありません。又、求めない正山寺さんが大好きなのです。

人と信仰心、宗教のあり方、そしてその後に繋がる私達の幸福とはどのような形でしょうか。もう少し勉強したいと思います。

2015.8.9から2016.1.1.再編集して紹介しました。                                            文責 上瀧勇哲


   幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは

        長崎県上五島市・頭ゲ島教会に訪問
頭ゲ島教会、県道から教会施設と観光施設、漁港施設があります。


頭ゲ島教会でお祈りした洋子ちゃんは早速、その下の浜辺でシロキスwヒットしました。因みにこの釣り場は地元の◎エフ・ピー・マエダ釣具店 ℡0959―42―1600番さんでも知らなかったシロキスポイントでした。

















幸福な家庭を築く信仰と社会で活かされる宗教とは №3へリンク



  幸福な家庭を築く信仰と
      社会で活かされる宗教とは



長崎県上五島釣り旅行
佐世保港から



九州商船フェリーにタントエグゼと一緒に




九州商船フェリーで2時間30分



上五島有川から車で35分で頭ゲ島大橋

その下の頭ゲ島からサーフでシロキス0匹

鯛、ミノカサゴ、ベラ、カサゴ、入れ食い、一泊。

釣れた魚の味噌汁、煮つけ、刺し身で朝食。

  長崎県上五島市・頭ゲ島教会
頭ゲ島教会へ訪問、教会の中でスゴーィ



  長崎県上五島市中之島教会
中の島教会で、